Yokoso! Japan - 通訳ガイド的日本再発見

海外から日本に来る外国人観光客の方々に、通訳ガイドの視点から、日本の良さを伝えたい…日頃見慣れた風景もあらためて見れば新鮮に映る、そんな視点で日本を再発見し、通訳ガイドの方もすぐ活用できるように、英語で紹介します。

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ホイサムジャイ

Author:ホイサムジャイ
放浪癖あり(笑)。好きなTV番組は「モヤモヤさまぁ~ず」「ちい散歩」「タモリ倶楽部」「ぶらり途中下車の旅」などなど。。。良く言えば「自由人」、悪く言えば「鉄砲玉」(←出たら戻って来んのかい!)

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さて本日より、「いざ鎌倉編」と題し、その舞台をしばし鎌倉に移します。
・・・が、その前にどうしても触れておきたい場所がっ!

やってきたのは「水天宮」。
バリバリ都内です~ m(_ _)m

suitenguu01.jpg

朝靄に包まれた建物が、妙に神秘的ですね~。
では早速おじゃまします。

suitenguu02.jpg

・・・キレイですねっ!
で、何故ココに来たかというと、祀られているのが平氏の血筋「安徳天皇」さんだからなんです。

suitenguu03.jpg

近くで見ると、一層美しいっすね~。

この安徳天皇さん、わずか8歳で、その生涯を閉じます(T-T)

平清盛の血をひく安徳天皇さんは、源氏の厳しい追及に京都から西へ西へと逃げていきました。しかし、ついに壇ノ浦(山口県下関市)の合戦で、源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の二位の尼さんに抱かれ、母の建礼門院さんと共に波間に身を躍らせました。

時は1185年、安徳天皇さんは8歳でした。

安徳天皇さんにお仕えしていた官女の按察使局(あぜちのつぼね)さんは、ひとり源氏の追っ手を逃れ、九州は筑後川に辿り着きました。彼女もまた壇ノ浦で共に入水しようとしたのですが、二位の尼さんに止められ『お前は生きて、われらの霊を慰めよ』との命を受けたのでした。(←ツライよね~)

彼女は川のほとりに小さな祠を建て、安徳天皇さんとその一族の霊を慰める日々を送りました。これが今に続く水天宮の起源と伝えられているそうです。

安徳天皇さんは御年わずか8歳で、争いの犠牲となって海中に沈まれましたが、万民を救う尊い神慮によるとされ、大きな信仰を集めたんだそうです。。。

・・・あぁぁ、隣の弁天様もお美しや~(^0^)/

suitenguu05.jpg


ではこのあたりを、英語でも表現してみましょう!
「安徳天皇」さんについて。

Emperor Antoku (December 22, 1178 – April 24, 1185) was the 81st emperor of Japan, according to the traditional order of succession. His reign spanned the years from 1180 through 1185.

Antoku was named crown prince at around one month of age. He ascended the throne at one year of age. Naturally, he held no actual power, but rather his grandfather Taira no Kiyomori ruled in his name, though not officially, as sesshou (regent).

In the year of 1180 (the 12th year of Takakura-tennou's reign), the emperor was forced to abdicate; and the succession was received by his infant son, the grandson of Taira Kiyomori. Shortly thereafter, Emperor Antoku is said to have acceded to the throne.
In the year of his enthronement, the capital was moved to modern-day Kobe, Hyogo, but it was soon moved back to Heian-kyo.

In 1183, Go-Toba is proclaimed emperor by the Genji; and consequently, there were two proclaimed emperors, one living in Heian-kyo and another in flight towards the south.
When Minamoto no Yoshinaka entered the capital, the Taira clan fled with the young emperor and the sacred treasures to Yashima. Being defeated in the Battle of Yashima, they fled westward.

In 1185, The Taira and the Minamoto clashed in the Battle of Dan-no-ura.
The Taira were defeated. Antoku's grandmother, Taira no Tokiko, the widow of Taira no Kiyomori, drowned herself along with the young emperor. His mother also drowned herself, but apparently, according to the The Tale of the Heike (Heike Monogatari), she was pulled out with a rake by her long hair. According to legend, the sacred jewels and the sacred sword (two of the three sacred treasures) sunk to the bottom of the sea, and although the sacred jewels were recovered, the sword was lost.

The story of Emperor Antoku and his mother's family became the subject of the Kamakura period epic poem The Tale of the Heike.

・・・と、こんな感じでしょうか。

でも、どんな状況であれ、子供が目の前で犠牲になるのは許せないデス。。。

・・・とても、平家(平気)な顔では、いられませんっ!(←正論もダジャレのせいで説得力がないぞっ・T-T)
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