Yokoso! Japan - 通訳ガイド的日本再発見

海外から日本に来る外国人観光客の方々に、通訳ガイドの視点から、日本の良さを伝えたい…日頃見慣れた風景もあらためて見れば新鮮に映る、そんな視点で日本を再発見し、通訳ガイドの方もすぐ活用できるように、英語で紹介します。

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ホイサムジャイ

Author:ホイサムジャイ
放浪癖あり(笑)。好きなTV番組は「モヤモヤさまぁ~ず」「ちい散歩」「タモリ倶楽部」「ぶらり途中下車の旅」などなど。。。良く言えば「自由人」、悪く言えば「鉄砲玉」(←出たら戻って来んのかい!)

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え~、まだまだ「寛永寺」なんですが。。。
折角ですので前回触れた墓所「徳川家霊廟」へと足を運びましょう^^

kaneiji_bosho01.jpg

あいにく焼失してしまい、ほとんど残っていませんが、きっと昔は豪華絢爛だったんでしょうね~。
おや?何か書いてありますね。

kaneiji_bosho02.jpg

・・・なるほど、コチラは「徳川綱吉」さんの霊廟への門なんですね w(゜0゜)w

そうそう、寛永寺には、徳川将軍15人のうち6人(家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定)が眠っているそうで。。。で、この家定さんの奥様も一緒にいらっしゃるんですね~。。。

・・・え?誰かって。。。ご存知「天璋院篤子」(篤姫)さんデス(^-^)

kaneiji_bosho03.jpg

ただあいにく中は見えなそうで(T-T)

kaneiji_bosho04.jpg

ではこのあたりで、いつものやつを。
本日はその「篤姫」さんで、いってみましょう!

Tenshouin was born in Kagoshima in 1835. In 1853, she became the adopted daughter of Shimazu Nariakira. In August 21, 1853, she travelled by land from Kagoshima via Kumamoto to the Edo jurisdiction, never to return to Kagoshima again.

Atsuko was thought to be sent to Edo castle with the aim of helping Shimazu Nariakira politically. The question of the next heir to the Shogunate was divided between the choice of Tokugawa Yoshinobu, then head of the Hitotsubashi-Tokugawa house and Tokugawa Yoshitomi, then head of Kii-Tokugawa house and later known as Tokugawa Iemochi. In order to ensure that Yoshinobu becomes the next in succession, Atsuko was arranged to wed into the Tokugawa Clan.

In November, 1856, Atsuko married Tokugawa Iesada. In 1858, both Tokugawa Iesada and Shimazu Nariakira died. The 14th shogun was decided to be Tokugawa Iemochi. Following the demise of her husband, Atsuko took the tonsure, becoming a Buddhist nun, and took the name Tenshouin. In 1862, as part of the Koubu Gattai ("Union of Court and Bakufu") movement, Iemochi was married to Imperial Princess Kazu-no-Miya Chikako daughter of Emperor Ninkou, and younger sister of Emperor Koumei. The Satsuma clan brought up the request for Tenshouin to return to Satsuma, but was rejected by Tenshouin herself. In 1866, Iemochi died. Tokugawa Yoshinobu became the next shogun. During the Meiji Restoration, Tenshouin and Seikan'in (Kazu-no-Miya's name after tonsure) helped negotiate for the peaceful surrender of Edo Castle.

・・・という感じでしょうか。

ちなみにこの「天璋院篤姫」さん、日本人で始めてミシンを扱った人と言われています。。。で、そのミシンを贈ったのが、あの黒船で来日した「ペリー提督」さんなんだそうです。

明治時代になり、徳川幕府が崩壊しても、決して鹿児島に戻らなかった天璋院さんは、東京千駄ヶ谷の徳川宗家邸で生涯暮らしたそうです。でも、規律の厳しかった大奥とは違った自由気ままな生活を楽しみ、勝海舟さんや和宮さんとも度々会っていたんですね~。

また、徳川宗家16代の徳川家達さんに英才教育を受けさせ、海外に留学させるなどしていたそうで。。。結構、時代に対する適応力もある人だったのかもしれません。

生活費は、倒幕運動に参加した島津家からは貰わず、徳川家からの援助だけでまかない、死後も夫である家定さんのお墓の隣に埋葬されたそうで。。。

・・・そう、最後まで徳川の人間として天璋・・・いやいや、昇天されたんですね m(_ _)m
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