Yokoso! Japan - 通訳ガイド的日本再発見

海外から日本に来る外国人観光客の方々に、通訳ガイドの視点から、日本の良さを伝えたい…日頃見慣れた風景もあらためて見れば新鮮に映る、そんな視点で日本を再発見し、通訳ガイドの方もすぐ活用できるように、英語で紹介します。

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ホイサムジャイ

Author:ホイサムジャイ
放浪癖あり(笑)。好きなTV番組は「モヤモヤさまぁ~ず」「ちい散歩」「タモリ倶楽部」「ぶらり途中下車の旅」などなど。。。良く言えば「自由人」、悪く言えば「鉄砲玉」(←出たら戻って来んのかい!)

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さて今回は、前のブログ記事で出てきた日枝神社のはす向かいにある「喜多院」へ。
山門に屋根があるので、どうにか雨は凌げそうです。。。

kawagoe_kitain01.jpg

では雨宿りかたがた、中へ入ってみましょう。

kawagoe_kitain03.jpg

・・・ふと右を見ると・・・おや !?

kawagoe_kitain02.jpg

「白山権現」・・・権現!ってことは、家康さんですかっ!? w(゜o゜)w

・・・なになに、家康さんが亡くなられた時、日光に祀る行程中、この喜多院に立ち寄り4日間の大法要が営まれたそうです。。。で、この法要を取り仕切ったのが「天海(てんかい)大僧正」さん。

この天海さん、徳川創世記に色々と重要な役割を成し遂げているんですが、謎も多い人物だそうで・・・天台宗の大僧正として「比叡山延暦寺」や、ココ喜多院の復興、上野寛永寺の創建などを行いました。

また家康さんより信頼の厚かった天海さんは、1616年に家康さんより「自分の没後の名前を授けてほしい」と頼まれ、ココでの法要と共に、家康さんに「権現」(権現と明神のどちらにするか悩んで、最終的に権現に決めたそうです)という称号を授け、ここから家康さんは「東照大権現」と呼ばれるようになりました。

で、この天海さん最大の謎が、実は「明智光秀」さんなのではないか、というもの。
実際、山崎の戦い(光秀さんが本能寺の変で織田信長さんを自害させた後、豊臣秀吉さんによって返り討ちにあったという合戦)で光秀さんは殺されたのかどうかが不明な上、そもそも信長さんが殺されるのを元々知っていたかのような、秀吉さんの迅速な対応、その後の「信長の後継者としての天下統一」・・・こりゃ、もしかしたら信長さんの死自体が、仕組まれた陰謀なのかもしれませんね。。。

・・・で、戦国時代によくあったというケースが、負け戦になった時、武将は寺に駆け込み急遽出家することで、殺されるのを免れていたというものだそうで・・・ということは、この後光秀さんは出家し、「天海」さんになった、という噂もあながち間違っていないのかもしれませんね。信長さんが焼き討ちした延暦寺の復興を担当させられたという事からも、何となく・・・(一_一☆)

では本日はそのあたりを説明してみましょう!

Tenkai (1536 – 1643) was a Japanese Tendai Buddhist monk of the Azuchi-Momoyama and early Edo periods. He achieved the rank of Daisoujou, the highest rank of the priesthood. His Buddhist name was first Zuifuu (随風), which he changed to Tenkai in 1590. Also known as Nankoubou Tenkai (南光坊 天海), he died in 1643, and was granted the posthumous title of Jigen Daishi (慈眼大師) in 1648.

Tenkai was at Kita-in (北院) in Kawagoe in 1588, and became abbot in 1599. He was on the staff of Tokugawa Ieyasu, and served as a liaison between the Tokugawa Shogunate and the Imperial Court in Kyoto. One of his projects was the rebuilding of Enryaku-ji, which had been devastated by Oda Nobunaga. He also revitalized Kita-in, and changed the characters of its name to "喜多院". Nearing death in 1616, Tokugawa Ieyasu entrusted Tenkai with his last will regarding matters of his funeral and his posthumous name. Tenkai selected gongen rather than myoujin, and after death Ieyasu became known as Toushou Daigongen.

Tenkai established Kan'ei-ji in 1624.Tenkai continued to serve as a consultant to the next two Tokugawa shoguns. In 1624, retired shogun Tokugawa Hidetada and ruling shogun Tokugawa Iemitsu asked him to establish Kan'ei-ji, a Buddhist temple to the northeast of Edo Castle in Ueno.

There are several theories concerning his early life. Some fiction writers postulate that he was in actuality Akechi Mitsuhide. It is not certain whether Mitsuhide died at the Battle of Yamazaki or not, and some suppose that he survived and began a new life as the priest Tenkai.

・・・と、こんな感じでしょうか。

もしこの噂が真実だとしたら、天海さんだけに「僧正な(そうとうな)」つわものですよねっ!
こんなミステリーがいっぱいの「喜多院」に、また来たいん?(←出たっ!ダジャレ2連発っ)


・・・いいから早よ中に進まんかいっ!って自分にツッコミましょ(笑)
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